東京地方裁判所 昭和55年(ワ)14328号 判決 1985年11月15日
原告
綿貫廣司
ほか二名
被告
望月保三
ほか二名
主文
一 被告らは、各自、原告綿貫廣司に対し金三七四一万一四一四円及びこれに対する昭和五四年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告山本勇、同山本成子に対し各金一六五四万一一三一円及び右各金員に対する昭和五四年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、各支払え。
二 原告らの被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの、その余を被告らの各負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告綿貫廣司(以下「原告綿貫」という。)に対し、金二億四六八九万六八五〇円及びこれに対する昭和五四年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告山本勇(以下「原告勇」という。)、同山本成子(以下「原告成子」という。)に対し、各金一億二三一九万八五四八円及び右各金員に対する昭和五四年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
訴外綿貫誠司(以下「誠司」という。)及び訴外綿貫一予(以下「一予」という。)は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)により死亡した。
(一) 日時 昭和五四年八月二二日午後一時二〇分ころ
(二) 場所 神奈川県足柄上郡大井町山田二〇二一番地付近の高速自動車国道東海自動車道東京小牧線下り線追越車線上(以下「本件事故現場」という。)
(三) 加害車両 自家用大型貨物自動車(セミトレーラー、牽引車沼津一一な一〇一二号、被牽引車沼津一一ち一一号、以下(被告車」という。)
右運転者 被告望月保三(以下「被告望月」という。)
(四) 被害車両 自家用普通乗用自動車(三河五七さ七六二九号、以下「綿貫車」という。)
右運転者 誠司
(五) 態様 被告望月は、被店車を運転して、本件事故現場付近を東京方面から静岡方面に向かい時速約七〇キロメートルで進行中、被告車運転席左脇のエンジンカバーと助手席との隙間に落ちた煙草の箱を拾い上げるのに気をとられ、折から交通渋滞のため前車に続いて停止しようとしていた訴外平田義宏運転の普通乗用自動車(以下「平田車」という。)をその約五・八メートル後方に至つて初めて発見し、急制動する間もなく被告車を平田車に追突させ、同車を押し出してその前方に停止していた綿貫車に追突させたのち、被告車を直接綿貫車に追突させ、これにより同車をその前方に停止していた訴外田島毅八郎運転の大型貨物自動車に追突させ、その衝撃により綿貫車を炎上させ、よつて誠司並びに同車に同乗中の一予及び訴外綿貫葉子(以下「葉子」という。)を全身火傷により死亡させた。
2 責任原因
(一) 被告望月の責任
被告望月は、本件事故現場にさしかかつた際、前方を被告車と同一方向に進行する平田車に追従して進行していたのであるから、同車の動静を注視し、進路前方の安全を確認しつつ進行すべき注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、被告車運転席左脇のエンジンカバーと助手席との隙間に落ちた煙草の箱を拾い上げるのに気をとられ、交通渋滞のため停止しようとしていた平田車の動静注視を欠いたまま時速約七〇キロメートルの速度で進行した過失により本件事故を惹起させたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告渡邉昇(以下「被告渡邉」という。)の責任
被告車は、被告渡邉が昭和五四年三月ころ静岡三菱ふそう自動車販売株式会社から月賦で購入したものであり、本件事故は、被告渡邉が、被告石毛総鉄株式会社(以下「被告会社」という。)からその鉄コイル等の製品の運送を請負い、これを被告車により自己の被用者である被告望月をして千葉方面に運送させた帰路に発生したものであるから、被告渡邉は、被告車を自己のため運行の用に供していた者というべきであつて、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。
なお、仮に、本件事故当時、被告渡邉は、発起人となつて、訴外渡邉運送有限会社(以下「訴外会社」という。)を設立中であつたとしても、発起人の権限は、会社の設立に必要な行為に限られるから、被告車を購入し、かつ、これを運行の用に供することは、その権限に含まれないものであつて、被告車は、被告渡邉が運行の用に供していたものというべきである。
(三) 被告会社の責任
被告会社は、鉄鋼その他各種特殊鋼の磨引抜加工、工作及び製鋼圧延の製造並びに販売等を業とする資本金二億円の株式会社であり、その沼津工場において、製品である鉄コイル等の東京、千葉、埼玉方面への運送を被告渡邉に請負わせていたものであるところ、被告渡邉は、被告会社の実質的な営業の一部門あるいは専属的な下請業者として被告会社の製品の運送業務に従事していたものであり、本件事故は、被告渡邉の従業員である被告望月が被告会社の指示により千葉の協和製作所及び酒巻工業千葉工場にコイルを運送した帰途に発生したものであるから、被告会社は、被告車を自己のため運用の用に供していた者というべきであつて、自賠法第三条の規定に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。なお、被告渡邉が被告会社の実質的な営業の一部門もしくは専属的な下請業者の立場にあったことは、次の諸事情からも明らかである。
(1) 被告渡邉は、貨物自動車を二台所有しており、その一台を自身が運転し、他の一台である被告車を被告望月が運転して、もつぱら被告会社の製品の運送業務に従事してきたもので、被告渡邉は、昭和四三年以降被告会社の仕事以外は一切やつておらず、被告会社からの運送依頼を拒絶したこともなかつたし、被告会社が専門に依頼する運送業者は被告渡邉以外にはなかつた。
(2) 被告渡邉は、本件事故当時、自動車運送事業の許可を受けていなかつた者であり、被告車もいわゆる白ナンバーの自家用車であつて、同被告において営業に使用することはできないものであつた。
(3) 被告渡邉の被告会社からの運送業務の受注は、運送の都度被告会社から連絡を受けるという形態ではなく、いわゆる定期便と同様に予めスケジユールが定められており、午後に荷を積み、深夜に沼津を出発し、早朝に目的地に到着するよう定められたスケジユールにしたがつて運行されていた。
(4) 被告望月の具体的な稼働状況は、被告会社の製品を積載した被告車を運転して、毎日午前零時ころ被告会社沼津工場を出発し、途中わずかな休憩をとるのみで午後三時過ぎには同工場へ帰着し、直ちに翌日運送する貨物を被告会社の従業員に積み込んでもらつてから帰宅し、わずかな睡眠ののち翌日午前零時に再び同工場に赴き、被告車を運転して東京方面へ向けて出発するという過重なもので、同被告において、被告会社の仕事以外の仕事に従事したり、被告望月自身又は被告渡邉の判断によつて自由な行動をとりうるような状況ではなく、現に本件事故も、被告望月が右のような稼働状況のもとに千葉方面へ被告会社の製品を運送した帰途に発生したものである。
(5) 被告車は、休日も含めて被告会社がその構内において保管し、その整備は被告望月が被告会社に出向いて行なつていたほか、被告車への貨物の積み込みは、被告会社の従業員がクレーン車を操作して行ない、搬送先は、被告会社の従業員がその都度直接被告望月に指示していたうえ、被告会社は、休憩室、事務室等の施設を被告渡邉に提供し、使用させていた。
(6) 被告渡邉は、従来の個人経営の運送業を法人化すべく訴外会社を設立したが(設立登記昭和五五年九月二日)、被告会社は、昭和五四年二月一〇日、同訴外会社の設立社員との間で運送契約を締結しており、その契約書には、被告渡邉は被告会社の事業に寄与する専属の運送業者として貢献し、被告会社は被告渡邉の専属性を配慮して安定かつ継続的な輸送確保に努める旨(第一条)、及び被告渡邉に対する運送の指示は被告会社が直接に行ない他の者が介入しないとする旨(第三条)に定められているうえ、訴外会社が昭和五四年四月九日に名古屋陸運局長宛申請した特定貨物自動車運送事業経営許可申請書の当該事業の経営を必要とする理由中には、被告渡邉がかねてより被告会社から沼津工場において搬出入される磨棒鋼及び同素材鋼の専属配送を依頼されていた旨記載されており、これらの点からみて、被告渡邉が個人で運送業を経営していた本件事故当時から被告会社と被告渡邉との間には専属的な運送契約がなされていたことが明白である。
3 身分関係及び相続関係
誠司は、原告綿貫と葉子夫婦の長男として昭和二五年一〇月三一日に出生し、一予は、原告勇、同成子夫婦の長女として昭和二七年九月二五日に出生したもので、誠司と一予は、昭和五三年八月二日に婚姻した夫婦であつた。
そして、誠司、一予及び葉子は、本件事故により同時に死亡したものであるが、誠司の相続人は原告綿貫のほかになく、一予の相続人は原告勇、同成子のほかにないから、原告綿貫は、誠司の被告らに対する後記損害賠償請求権(逸失利益)を全部相続取得し、原告勇、同成子は、一予の被告らに対する後記損害賠償請求権(逸失利益)を各二分の一の割合で相続取得した。
4 損害
(一) 誠司の逸失利益 金二億五六九〇万五五八七円
誠司は、昭和五三年三月日本医科大学を卒業し、同年六月医師国家試験に合格した医師であり、本件事故当時満二八歳で、浜松医科大学第二外科に研修医として勤務するほか、おいだ外科医院及び引佐赤十字病院にそれぞれ医師として勤務し、昭和五四年一月から死亡した同年八月二二日までの間、浜松医科大学から金九二万二二七六円、おいだ外科医院から金三六〇万円、引佐赤十字病院から金一三四万二二七二円(以上合計金五八六万四五四八円)の収入を得ていた。
右の浜松医科大学からの給与は、昭和五四年一月一日から同年八月二二日までの二三四日分であるから、これを年収に換算すると金一四三万八五九二円となり、右のおいだ外科医院からの給与は、同年一月分から同年八月分までの月額金四〇万円の給与と夏期賞与一か月分(金四〇万円)の合計額であるが、年末賞与は二か月分(金八〇万円)の約定であつたから、同医院からの年収額は金六〇〇万円となり、また、右の引佐赤十字病院からの給与は、同年一月一日から同年八月二二日までの二三四日分であり、これを年収に換算すると金二〇九万三七一四円となるから、誠司の年収の合計額は金九五三万二三〇六円となる。
そして、誠司は、遅くとも昭和五九年八月二二日までには右各勤務先を退職し、医師である妻一予とともに浜松市内において独立して病院を開業する予定であつたものであり、開業医として少くとも同年齢の勤務医師である病院長の平均収入に相当する額の収入を得ることは確実であつた。
したがつて、誠司は、本件事故により死亡しなければ、満六七歳まで正常に稼働し、その間、満三三歳までは、前記の本件事故当時の年収額を下らない額の収入を、また、満三四歳から六七歳までは、人事院昭和五四年職種別民間給与実態調査に基づく職種別、規模別、年齢階層別平均給与月額職種病院長のきまつて支給する給与額を下らない額の収入を得られたはずであるから、右各年収額を基礎として年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、誠司の生涯の収入額の死亡時における現価を算定すると、別表1のとおり、その合計額は金三億〇二二四万一八六八円となる。
そして、前記収入額から控除すべき生活費の割合は、誠司の収入額が高額であることに照らし、一五パーセントとするのが相当であるから、右収入額から生活費として一五パーセントを控除すると、誠司の逸失利益の現価は金二億五六九〇万五五八七円となる。
なお、誠司が一予とともに、遅くとも昭和五九年八月二二日までに医師として開業が可能であり、同日以降前記主張にかかる収入を得られたはずであることは、次の諸点からも明らかである。
医師の開業費用は、開業する地域、開設する診察所の規模、開業のための不動産の取得の方法、開業する診療科目によつて差があるが、日本医師会の調査資料によると、昭和四七年一一月から昭和五二年一〇月までに開設された診療所の開業費用は、無床診療所の場合が金三一七〇万円、一ないし一〇床の診療所の場合が金五五五〇万円とされており、診療科目別では、内科が金五二三五万円、外科が金八八三一万円とされているところ、原告勇が豊橋市内の有力な歯科医であり、また、一予の母である原告成子の弟四名がいずれも医師であつて、このうち三名が春日井市(産婦人科)、小牧市(内科)、浜松市(外科)において開業しているうえ、原告勇において、誠司及び一予が開業する病院等の敷地にあてるため、既に豊橋市中原町地歩三番一四に山林二一三九平方メートルを購入ずみであるなど、誠司及び一予は、医師として独立開業するうえで極めて恵まれた環境にあつたものであり、しかも、開業医の収入に関する中央社会保険医療協議会(以下「中医協」という。)の昭和五六年一〇月医療経済実態調査の概況によると、個人開業医の収入は、有床診療所の開業医が年収二六六六万円、無床診療所の開業医が年収一八八八万円とされていることからみて、仮に、誠司及び一予が無床診療所を開くとしても、原告ら主張の金額の収入を得られたことは確実というべきである。
(二) 一予の逸失利益 金二億五一七四万一二一二円
一予は、昭和五三年三月誠司とともに日本医科大学を卒業し、同年六月医師国家試験に合格した医師であり、本件事故当時満二六歳で、浜松医科大学第一内科に研修医として勤務するほか、おいだ外科医院及び日本国有鉄道静岡鉄道管理局浜松鉄道病院にそれぞれ医師として勤務し、昭和五四年一月から死亡した同年八月二二日までの間、浜松医科大学から金九二万二二七六円、おいだ外科医院から金三六〇万円及び国鉄静岡管理局から金五九万五〇〇〇円(以上合計金五一一万七二七六円)の収入を得ていた。
右の浜松医科大学からの給与は、昭和五四年一月一日から同年八月二二日までの二三四日分であるから、これを年収に換算すると、金一四三万八五九二円となり、右のおいだ外科医院からの給与は、同年一月分から同年八月分までの月額金四〇万円の給与と夏期賞与一か月分(金四〇万円)の合計額であるが、年末賞与は二か月分(金八〇万円)の約定であつたから、同医院からの年収額は金六〇〇万円となり、また右の国鉄静岡管理局からの給与は、同年四月一日から同年八月二二日までの一四四日分であり、これを年収に換算すると、金一五〇万八一五九円となるから、一予の年収の合計額は金八九四万六七五一円となる。
そして、一予は、遅くとも昭和五九年八月二二日までには、右各勤務先を退職し、医師である夫誠司とともに浜松市内において独立して病院を開業する予定であつたものであり、開業医として少なくとも同年齢の勤務医師である病院長の平均収入に相当する額の収入を得ることは確実であつた。したがつて、一予は、本件事故により死亡しなければ、満六七歳まで正常に稼働し、その間、満三一歳までは、前記の本件事故当時の年収額を下らない額の収入を、また満三二歳から六七歳までは、人事院昭和五四年職種別民間給与実態調査に基づく職種別、規模別、年齢階層別平均給与月額職種病院長のきまつて支給する給与額を下らない額の収入を得られたはずであるから、右各年収額を基礎として年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、一予の生涯の収入額の死亡時における現価を算定すると、別表2のとおり、その合計額は金二億九六一六万六一二一円となる。
そして、前記収入額から控除すべき生活費の割合は、一予の収入額が高額であることに照らし、一五パーセントとするのが相当であるから、右収入額から生活費として一五パーセントを控除すると、一予の逸失利益の現価は金二億五一七四万一二一二円となる。
なお、一予が誠司とともに、遅くとも昭和五九年八月二二日までに医師として開業が可能であり、同日以降前記主張にかかる収入を得られたはずであることは、前記4の(一)に記載の事情から明らかである。
(三) 原告らの損害
(1) 葬儀等関係費用 原告綿貫金二五三万四八三九円、原告勇、同成子各一八七万三三一三円
原告らは、死亡した誠司、一予及び葉子の葬儀、追善供養等を合同で行なうなどして多額の費用を支出したが、その費用のうち誠司及び一予に関する分として、原告綿貫は、仏壇仏具購入費金一〇三万三三三三円、墓碑建立費金七〇万五三三三円、別表4のとおりの四十九日追善供養費金七九万六一七三円の合計金二五三万四八三九円を支出して同額の損害を被り、原告勇及び同成子は、別表3のとおりの葬儀費各金一四四万二三五九円、別表5のとおりの百か日追善供養費各金三五万五二〇一円、別表6のとおりの雑費各金七万五七五三円の合計各金一八七万三三一三円を支出してそれぞれ同額の損害を被つた。
(2) 慰藉料 原告綿貫金四〇〇〇万円、原告勇、同成子各金二〇〇〇万円
本件事故は、誠司が一予とともに夏期休暇をとり、母葉子への孝行として同女を連れて箱根へ向かう途中、被告望月が、折から道路清掃のため渋滞停止中の綿貫車に、ブレーキも踏まずに時速七〇キロメートル以上のスピードで突つ込んだというもので、このため、誠司、一予及び葉子は潰れた自動車の中で脱出することができないまま猛火の中で焼き殺されるという筆舌に尽し難い無惨な死に方をしたものである。被告望月は、本件事故を起こした責任により、禁錮二年の実刑判決を受け、服役したが、それだけでは遺族の無念さは到底慰藉され得ない。
誠司と一予は、いずれも子供のころから学業の成績が優秀で、さらに努力の結果、ともに日本医科大学に入学し、卒業直後医師の国家試験に合格した医師であり、両名は大学在学中に知り合い、本件事故の一年前である昭和五三年八月に結婚したばかりであつた。両名は、一予の親族の大部分が医師であり、父である原告勇が豊橋市で歯科医を、母である原告成子の弟らが春日井市、小牧市、浜松市などで医院を開業していたため、将来、豊橋市で独立開業することを予定し、原告勇はその候補地まで準備していた。そこで右両名はともに浜松医科大学に研修医として勤務することにし、誠司が外科医を希望して同大学第二外科に入つたため、一予は将来二人で独立開業するためには内科医の道を選んだ方がよいと考えて同大学第一内科に入り、独立開業の暁には誠司の両親を千葉から浜松へ呼び、同人らの老後を一緒に暮したいと希望していた孝行な子供であつた。
このように誠司、一予の両名は、社会的に高い評価を受ける職業に就いていただけでなく、医師としても特に恵まれた環境にあり、将来性の豊かな文字どおり新しい人生のスタートを切つたばかりであつて、これからという人生を突如として奪われた両名の無念さは察するに余りあることはいうまでもないが、原告綿貫としても、かけがえのない妻葉子と生甲斐そのものであつた息子夫婦を同時に失い、また、原告勇、同成子も只一人の愛娘を奪われたもので、原告らの精神的苦痛は極めて大きい。
以上の事情を考慮すれば、慰藉料の額は、原告綿貫について金四〇〇〇万円、原告山本勇、同成子についてそれぞれ金二〇〇〇万円が相当である。
(3) 弁護士費用 原告綿貫金一七四五万六四二四円、原告勇、同成子各金一〇四五万四六三四円
原告らは、本件訴訟の提起・追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、その報酬として原告綿貫が本訴請求にかかる損害額金二億二九四四万〇四二六円の約七・六一パーセントにあたる金一七四五万六四二四円を、原告山本勇、同成子が本訴請求にかかる各損害金一億一二七四万三九一四円の約九・二七パーセントにあたる各金一〇四五万四六三四円を、それぞれ支払うことを約した。
(四) 損害のてん補
本件事故による損害のてん補として、原告綿貫は、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から金二〇〇〇万円、任意保険から金五〇〇〇万円の各支払を受け、これを同原告の前記損害賠償請求権に充当し、原告勇、同成子は、自賠責保険から金二〇〇〇万円、任意保険から金五〇〇〇万円の各支払を受け、その各二分の一を同原告らの前記各損害賠償請求権に充当した。
5 結論
よつて、原告らは、被告ら各自に対し、本件事故に基づく損害賠償として、原告綿貫において、金二億四六八九万六八五〇円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五四年八月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告勇、同成子において、各金一億二三一九万八五四八円及びこれに対する右同日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告望月の認否
請求原因事実はすべて否認する。
三 請求原因に対する被告渡邉の認否
1 請求原因1の事実中、誠司及び一予が死亡したことは認め、その余は不知。
2 同2の(二)の事実中、被告車は、被告渡邉が昭和五四年三月ころ静岡三菱ふそう自動車販売株式会社から月賦で購入したものであること、被告渡邉が、被告会社からその鉄コイル等の製品の運送を請負い、これを被告車により被告望月に運送させたことは認め、その余は不知、被告渡邉の責任は争う。
被告車は、本件事故当時設立中で権利能力なき社団であつた訴外会社(渡邉運送有限会社)が運行の用に供していたものであるから、被告渡邉には自賠法第三条に基づく責任はない。すなわち、
(1) 訴外会社は、昭和五四年二月五日定款を作成し、同日、同会社の全資本七〇〇〇口のうち、被告渡邉が四〇〇〇口、訴外渡邉多喜子が二〇〇〇口、同中野慶一が一〇〇〇口を各引受け、同月二〇日公証人大北泉によつて右定款の認証を受け、同年四月九日名古屋陸運局長宛特定貨物自動車運送事業経営許可申請をし、昭和五五年八月一二日右許可を受け、同年九月二日設立登記を了した。
(2) 右のとおり、訴外会社は、昭和五四年二月五日から昭和五五年九日二日までの間、設立中の会社であり、被告車は、昭和五四年三月被告渡邉が右の設立中の会社すなわち権利能力なき社団の代表者として購入し、以後右社団が運行してきたものであり、仮に、被告渡邉が個人として購入したものであるとしても、その運行供用者が右社団でみつたことは同様であつて、本件事故は、右社団が被告車を運行中に発生したものである。
3 同3の事実は不知。
4(一) 同4の(一)、(二)の事実はいずれも不知、その主張の損害額は争う。
誠司及び一予の逸失利益の算定にあたり、収入額はそれぞれの現実収入額を基礎とし、中間利息の控除についてはライプニツツ式計算法を使用すべきである。
そして、右の現実収入額としては、継続性がありかつ確実な一個所の勤務先からの給与に限るべきであり、因果関係並びに公平の観点から、原告ら主張の三個所の勤務先からの給与を基礎とすることは不当である。
また、夫婦である誠司及び一予の両名がともに民間病院長になれるはずもないし、いわゆる医師過剰時代を迎えつつある今日、医師だけが社会常識を外れた異常な高収入を取得し続けられるはずもなく、また、右両名のいずれか一人でも病院長になれる確率も低い。
さらに、右両名は、同時死亡であるからそれぞれを独身者と同視して、生活費控除割合は、各五〇パーセントとするのが相当である。
(二) 同4の(三)の事実は不知。
(三) 同4の(四)の事実は認める。
なお、被告渡邉は、原告ら主張の保険金一億四〇〇〇万円を支払つたが、同被告としては、たとえ事故が発生しても一事故一人当り金七〇〇〇万円という保険金額で十分に補償できるつもりであつたし、本件事故当時、一般人が考えても同様であつたはずであり、被害者や遺族の保護の観点からしても右金額で欠けるところはなく、本件のように高額の損害が発生するのは特殊な事例である。したがつて、原告ら主張の損害中右損害てん補金一億四〇〇〇万円を越える部分については相当因果関係がないというべきである。
5 同5の主張は争う。
四 請求原因に対する被告会社の認否
1 請求原因1の事実は不知
2(一) 同2の(三)の冒頭の事実中、被告会社が、鉄鋼その他各種特殊鋼の磨引抜加工、工作及び製鋼圧延の製造並びに販売等を業とする資本金二億円の株式会社であり、自己の沼津工場において、製品の鉄コイル等の一部を被告渡邉に東京、千葉、埼玉方面へ運送させていたことは認め、被告会社が被告車を自己のため運行の用に供していたことは否認し、その余は不知、被告会社の責任は争う。
(二) 同2の(三)の(1)ないし(6)の事実は否認する。
被告渡邉は、被告会社の専属的な運送業者ではなく、被告会社と被告渡邉とは単なる運送契約の当事者の関係があるにすぎず、しかも、本件事故当時、被告車は被告会社の業務の遂行中でもなく、被告車はもつぱら被告渡邉が管理していたものであつて、被告会社は、同車を自己のため運行の用に供する者にあたらないから、自賠法第三条の規定に基づく責任はないことは、次の諸事情から明らかである。
(1) 被告会社は、その沼津工場において必要とされるトラツク輸送の大部分を被告会社所有のトラツクを被告会社の従業員が運転することによつて行なつており、東京方面への輸送について、いくつかの運送業者を補充的に利用していたところ、被告渡邉はそうした業者の一つにすぎず、本件事故当時、被告渡邉及びその使用人である被告望月は、被告会社の仕事以外の仕事もしていたし、被告渡邉は、自己の計算にもとづいて運送を行なつていたものであるから、被告会社の運送依頼に対し、単価、距離、貨物の量、その他を考慮してこれを断ることもあり、たとえば本件事故のあつた昭和五四年八月に被告会社が、被告車による運送を依頼した回数は、一日、二日、三日、七日、一七日、一八日、二一日、二二日の八回にすぎない。
(2) 本件事故当時、被告会社と被告渡邉との間には運送に関する基本契約のようなものは存在せず、一日の仕事が終つてから翌日の仕事があれば、それを頼み、同被告が引受ければしてもらうというようなやり方をしていたもので、同被告に対する対価支払の方法も、基準等はなく、被告会社は毎月被告渡邉から仕事量に応じた請求を受け、それによつて対価を支払つていた。
(3) 被告渡邉は、昭和四〇年ころから、運送業の許可を受けずに運送を行なつていたが、当時は、許可を受けていない運送業者が多く、特に鋼材をトラツクで運ぶ業者ではそれがむしろ当然であつて、許可を受けていないといつても、それぞれが独立した業者として運送業を行なつていたものであるから、被告渡邉が無許可で運送業を営んでいたとしても、同被告は被告会社とは独立した存在であり、けつして被告会社の自家用車を運転していたような関係とはいえないものである。
(4) 被告会社は、被告渡邉に対し、出資、自動車の貸与等をしていないし、被告車その他被告渡邉所有の車両について、ガソリンの供与、維持費の負担、保険名義の貸与等を一切していないうえ、被告車の購入にも積極的な関与をしておらず、同車には被告会社との関連性を示す表示もなかつた。
(5) 被告会社が被告望月運転の被告車による運送を依頼した場合、被告望月は、夜中に沼津工場を出発し、疲れないだけの休憩を途中でとり、午後三時ころ同工場へ戻り、もし翌日も仕事があればその貨物を積込んだうえ自宅へ帰り、過重労働にならないだけの十分な睡眠をとつたあと翌日夜中に工場へ来て出発するという稼働形態をとつていたが、出発、帰着の時刻は被告会社が指示していたのではなく、被告望月が道路の状況や工場の作業時間等を考えて自由に決めていたものであり、本件事故当日の具体的運行についてみても、被告会社が被告渡邉に依頼したのは、沼津から東京までの物品の運送であり、被告会社は、被告渡邉に対し、片道の運賃しか支払つておらず、被告渡邉において、被告車の東京からの帰途に第三者の業務の委託を受けることは自由であつて、被告会社としては、被告車が、そもそも沼津に帰つてくるかどうか、どの道路を通つてくるか、何時に帰つてくるか等、一切知らなかつたものであり、本件事故は、被告会社が依頼した運送業務が終了したのちの、被告望月が自己又は被告渡邉の判断により自由な行動をとり得た時に発生したものであつて、被告会社としては、事故時の被告車の運行につき、何ら支配力を及ぼすこともできなかつたし、右運行による利益を享受していなかつたものである。
(6) 被告会社は、被告車への貨物の積み込み後出発まで及び休日等、同車を沼津工場横の空地に駐車しておくことを黙認していたが、同車のキーは被告望月自身が保管しており、被告会社が同車の保管をしていたわけではない。
(7) 原告らは主張にかかる被告会社と訴外会社設立社員間で作成された運送契約書及び特定貨物自動車運送事業経営許可申請書には被告渡邉が被告会社の専属的運送業者である旨記載されており、右申請に基づく許可書にも被告会社が運送の需要者とされているが、右の契約書及び申請書は、被告渡邉が特定貨物の運送業許可を受けるために便宜上作成されたものであり、右の許可書は、このように便宜上作成された書類に基づいてなされた許可であつて、いずれも事実を反映しているものではない。
3 同3の事実な不知。
4(一) 同4の(一)、(二)の事実はいずれも不知、その主張の損害額は争う。
誠司及び一予の両名は夫婦であつたから、将来右両名の間に子供ができた場合等を考えると、右両名がそれぞれ通常の医師としての収入を得られるとするのは相当でなく、それぞれ収入はたかだか通常の医師の七五パーセント程度と考えるのが相当である。
また、誠司及び一予は、いわゆる共働きをすることになるから、この場合の生活費の控除は、通常より高い割合によるのが合理的である。
なお、逸失利益の相続という法律構成を否定できないとしても、遺族が死亡者の親である場合には、遺族の被る損害としては、扶養及び愛情の喪失を中心に考えるべきであるから、遺族が子である場合に比べて損害額を低く算定すべきである。
(二) 同4の(三)及び(四)の各事実はいずれも不知。
5 同5の主張は争う。
五 被告渡邉、同望月の抗弁
被告渡邉は、その加入していた保険によつて誠司及び一予の死亡による損害に対し各金七〇〇〇万円(合計一億四〇〇〇万円)を支払つており、右金額は被害者及び遺族の保護の観点からみても損害のてん補として十分というべきであるから、本件請求中、右てん補額を越える部分の請求は、公序良俗違反または権利の濫用であつて失当である。
第三証拠関係
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1の事実中、誠司及び一予が死亡したことは原告らと被告渡邉との間において争いがなく、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき甲第八七号証、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において原本の存在とその成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき弁論の全趣旨により原本の存在が認められ、かつ、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき甲第二号証、第二二号証ないし第二四号証、第二六号証の一、二、第二七号証ないし第二九号証、第三〇号証の一ないし三、第三一号証の一、二、第三二号証の一、二、第三三号証の一ないし三、第三四号証の一、二、第三五号証、第三六号証の一ないし三、第三七号証、第三八号証の一、二、第三九号証ないし第四三号証、第四四号証の一、二、第四五号証ないし第五三号証、第六二号証の一、二、第六三号証の一、第六四号証の一、二、第六五号証ないし第六七号証、第六八号証の一、第六九号証、第七〇号証の一ないし三、第七一号証の一、第七二号証の一、第七三号証ないし第七七号証、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において原本の存在と成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき弁論の全趣旨により原本の存在と成立が認められる甲第六三号証の二、第六八号証の二、第七一号証の二、第七二号証の二を総合すれば、請求原因1の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
二 次に、被告らの責任について判断する。
1 被告望月の責任
前記理由一の事実(請求原因1の事実)関係のもとにおいては、被告望月は、進路の前方を注視し、その安全を確認しつつ進行すべき注意義務があるのに、これを怠つた過失によつて本件事故を惹起させたことが明らかであるから、同被告には、民法第七〇九条の規定に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任があるものというべきである。
2 被告渡邉の責任
請求原因2の(二)の事実中、被告車は被告渡邉が昭和五四年三月ころ静岡三菱ふそう自動車販売株式会社から月賦で購入したものであること、被告渡邉が被告会社からその鉄コイル等の製品の運送を請負い、これを被告車により被告望月に運送させたことは原告らと被告渡邉との間において争いがなく、前掲甲第六九号証、第七三号証ないし第七七号証並びに被告渡邉本人の尋問の結果によれば、被告渡邉は、本件事故当時、個人営業として運送業を営み、被告会社から請負つた鉄コイル等の製品の運送を被告車によつて自己の従業員である被告望月に運送させた帰路に本件事故が発生したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右の事実によれば、被告渡邉は、本件事故当時、被告車を自己のため運行の用に供していた者というべきである。
なお、成立に争いのない丙第一号証の二六、二七、第二号証、第三号証及び被告渡邉本人の尋問の結果によれば、被告渡邉は、昭和五四年一月ころ、従前の運送営業の許可を受けずに個人営業として行なつていた運送事業を法人化し、かつ、運送事業の許可を受けるため、自ら発起人として訴外会社(渡邉運送有限会社)を設立することを計画し、同年二月五日同訴外会社の定款を作成し、同年四月九日名古屋陸運局長宛特定貨物自動車運送事業経営許可申請をなし、昭和五五年八月一二日右許可を受け、同年九月二日右訴外会社の設立登記を了したこと、被告渡邉は、被告車を自己の名義で購入したが、これは、右購入当時、まだ右訴外会社の設立登記がなされていなかつたためであつて、被告渡邉としては、将来、被告車を訴外会社の営業に使用する予定であつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
しかしながら、被告渡邉は、設立中の右訴外会社に対し被告車を適法に現物出資したり、これを訴外会社設立後に譲渡することを約したとは認められず、しかも本件事故当時、いまだ設立中の訴外会社がいわゆる権利能力なき社団として被告車を使用して運送事業を行なつていたと認めるに足りる証拠はないから、被告渡邉は個人営業による運送事業に被告車を使用していたものというほかはなく、したがつて、右の事実をもつてしては、被告渡邉が、本件事故当時、被告車を自己のため運行の用に供していた者である旨の前記認定を左右するに足りないものというべきである。
右によれば、被告渡邉は、自賠法第三条の規定に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任があるものというべきである。
3 被告会社の責任
請求原因2の(三)の冒頭の事実中、被告会社が、鉄鋼その他各種特殊鋼の磨引抜加工、工作及び製鋼圧延の製造並びに販売等を業とする資本金二億円の株式会社であり、その沼津工場において、製品の鉄コイル等の一部を被告渡邉に東京、千葉、埼玉方面へ運送させていたことは、原告と被告会社との間において争いがなく、前掲甲第一三号証、第六九号証、第七三号証ないし第七七号証、丙第一号証の二六、二七、第二号証、成立に争いのない丙第一号証の二〇、第四号証の一、二、証人芳川敏明の証言(後記措信しない部分を除く。)、被告会社代表者石毛欣家(後記措信しない部分を除く。)、被告渡邉本人の尋問の結果を総合すれば、
(一) 被告渡邉は、昭和三七年ころから運送事業の許可を受けないまま個人経営で被告会社の製品の運送をするようになり、昭和四三年ころに被告会社の沼津工場ができたのちは、被告会社の製品以外の運送には従事したことがなく、また、被告渡邉のほかには被告会社沼津工場の製品を専属的に運送している運送業者はなかつたこと、
(二) 被告渡邉は、本件事故当時、大型貨物自動車及び被告車の二台を所有し、右の大型貨物自動車を自己が運転し、被告車を被告渡邉の唯一人の従業員である被告望月が運転して、いわゆる車両持ち込みの形で被告会社沼津工場の製品の運送に従事していたこと、
(三) 被告望月は、昭和五四年四月ころ被告渡邉に雇われ、もつぱら被告車を運転して被告会社沼津工場の製品の東京、千葉、埼玉方面への運送に従事してきており、その稼働形態は、おおむね、午前零時ないし一時ころに被告会社沼津工場を出発し、早朝に目的地へ到着して、積荷を搬入し、午後二時ないし三時ころ被告会社沼津工場へ帰着し、被告会社の従業員から翌日の運送先、運送貨物の指示を受け、貨物を積み込んでもらつてから帰宅し、短時間の睡眠をとつたのち、翌日の午前零時ないし一時ころに再び被告会社沼津工場へ赴いて被告車を運転して出発するというもので、本件事故当日である昭和五四年八月二二日も午前一時ころ被告車を運転して千葉県内にある協和製作所及び酒巻工業千葉工場へ運送をしたのち被告会社沼津工場への帰途本件事故を惹起したものであること、
(四) 被告車には被告会社を示す表示はなされていなかつたが、被告渡邉所有にかかる前記大型貨物自動車には被告会社の名称が表示されていたこと、
(五) 被告車は、他で修理をするときなどのほかは被告会社沼津工場の敷地内に置かれていたこと、
(六) 被告渡邉は、本件事故当時、被告会社の主催する旅行や忘年会などには同社の従業員と同様に出席していたこと、
(七) 被告渡邉は、前示のとおり、昭和五四年一月ころから、従前の個人経営を会社組織に改め、運送事業に許可を受けることを計画していたところ、同年二月一〇日、被告会社と訴外会社設立社員代表者たる被告渡邉との間で運送契約が締結され、その契約書には、被告渡邉は被告会社の事業に寄与する専属の運送業者として貢献し、被告会社は被告渡邉の専属性を配慮して安定かつ継続的な輸送確保に努める旨(第一条)、及び被告渡邉に対する運送の指示は被告会社が直接に行ない他の者が介入しないものとする旨(第三条)定められていること、また、右訴外会社が同年四月九日に名古屋陸運局長宛申請した特定貨物自動車運送事業経営許可申請書の当該事業の経営を必要とする理由中には、被告渡邉がかねてより被告会社より沼津工場において搬出入される磨棒鋼及び同素材鋼の専属配送を依頼されていた旨記載されていること、
(八) 被告渡邉ないし訴外会社の運送営業の実態及び被告会社との密接な関係は、被告渡邉が右訴外会社を設立する前後を通じて、運送の単価が従前より低額になつたほかに、特段の変更はなかつたこと、
以上の事実が認められ、証人芳川敏明の証言及び被告会社代表者石毛欣家の供述中右認定に反する部分は叙上認定に供した各証拠と対比してたやすく措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右の事実によれば、被告渡邉は、被告会社の専属的な運送業者であつたものというべきであつて、本件事故は、被告渡邉の従業員である被告望月が被告車を運転して被告会社の運送業務を遂行し、被告会社の沼津工場に帰る途中惹起したものであるから、被告会社は、本件事故当時、被告車の運行を支配し、これを自己のため運行の用に供していたものというべきであつて、被告会社は、自賠法第三条の規定に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任があるものというべきである。
三 前掲甲第五一号証ないし第五三号証、第八七号証及び原告勇本人の尋問の結果を総合すると、請求原因3のとおりの各身分関係及び相続関係の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
四 そこで、進んで損害について判断する。
1 誠司の逸失利益 金九二四一万一四一四円
前掲甲第四六号証ないし第四八号証、原告らと被告会社との間において成立に争いがなく、原告らとその余の被告らとの間につき弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八二号証の一ないし三、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八五号証の一、二、第八八号証の一、第八九号証の一及び原告勇本人の尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、誠司は、昭和五三年三月に日本医科大学を卒業し、同年の医師国家試験に合格した医師であり、本件事故当時、原告ら主張のとおりの勤務先に勤務して、その主張のとおりの給与(年額金九五三万二三〇六円)の支給を受けていたこと、誠司は外科を専攻しており、内科を専攻する医師である妻一予とともに昭和五九年ころまでには独立して開業する予定であつたこと、一予の父である原告勇は豊橋市内で歯科医を開業しており、同人は同市内に誠司及び一予が将来病院、医院又は診療所(以下「病院等」という。)を開業するための用地を既に取得していたほか、一予の親族には医師が多数あつて、誠司及び一予は独立開業するうえで経済的に恵まれた環境にあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右の事実に前示の誠司の年齢(死亡時満二八歳)を総合すると、誠司は、本件事故により死亡しなければ、満二八歳から六七歳まで医師として正常に稼働し、その間、昭和五八年賃金センサス第三巻第三表の医師(男)の企業規模計・全年齢平均給与額である年額金九八七万三七〇〇円を下らない額の収入を得られたものと推認することができ、右推認を覆えすに足りる証拠はない。
そして、右の誠司の推定収入額が一般に比べて高額であつて、その支出しあるいは負担すべき諸経費も少なくないと考えられるうえ、誠司、一予の両名がいわゆる共働きの形態で稼働する予定であつたこと等の事情に照らすと、右誠司の推定収入額から控除すべき生活費の割合は四五パーセントとするのが相当である。
よつて、右年収額を基礎とし、これから生活費として四五パーセントを控除したうえ、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、誠司の死亡時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は金九二四一万一四一四円(一円未満切捨)となる。
9,873,700×(1-0.45)×17.0170=92,411,414
2 一予の逸失利益 金八八二八万二二六三円
前掲甲第四六号証ないし第四八号証、原告らと被告会社との間において成立に争いがなく、原告らとその余の被告らとの間につき弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八三号証の一ないし三、第八四号証、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八六号証の一、二、第八八号証の二、第八九号証の二及び原告勇本人の尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、一予は、昭和五三年三月に日本医科大学を卒業し、同年の医師国家試験に合格した医師であり、本件事故当時、原告ら主張のとおりの勤務先に勤務して、その主張のとおりの給与(年額金八九四万六七五一円)の支給を受けていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
また、一予が医師である夫誠司とともに昭和五九年ころまでには独立して開業する予定であり、右両名が独立開業するうえで経済的に恵まれた環境にあつたことは右1に認定したとおりである。
右の事実に、前示の一予の年齢(死亡時満二六歳)並びに一予及び誠司の前示の死亡当時の収入額を対比すると、一予の収入額は誠司のそれのほぼ九四パーセントに相当するものであることを総合勘案すれば、一予は、本件事故により死亡しなければ、満二六歳から六七歳まで医師として正常に稼働し、その間、前記の男性医師の昭和五八年賃金センサス企業規模計・全年齢平均給与額である年額金九八七万三七〇〇円の九四パーセントに相当する年額金九二八万一二七八円を下らない額の収入を得られたものと推認することができ、右推認を覆えすに足りる証拠はない。
そして、右の一予の推定収入額が一般に比べて高額であつて、その支出しあるいは負担すべき諸経費も少なくないと考えられるうえ、誠司、一予の両名がいわゆる共働きの形態で稼働する予定であつたこと等の事情に照らすと、右一予の推定収入額から控除すべき生活費の割合は四五パーセントとするのが相当である。
よつて、右年収額を基礎として、これから生活費として四五パーセントを控除したうえ、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、一予の死亡時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は金八八二八万二二六三円(一円未満切捨)となる。
9,281,278×(1-0.45)×17.2943=88,282,263
なお、原告らは、誠司の満三四歳以降、一予の満三二歳以降の各収入として、人事院昭和五四年職種別民間給与実態調査に基づく職種別、規模別、年齢階層別平均給与月額職種病院長の給与額を基準として算定すべき旨主張するが、誠司及び一予がともに勤務医として病院長になりえたことを認めるに足りる証拠はないし、右両名が共同して病院等を開設したとしても、両名がともに病院長の地位につくことは到底ありえないうえ、両名のうちいずれかが満三二歳ないし三四歳の若さで院長になると確定しうる証拠もなく、また弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第九三号証によれば、中医協による昭和五六年一〇月の医療経済実態調査の結果によると、個人開業医の収入は、有床診療所の開業医が月額平均金二二二万二〇〇〇円(年額金二六六六万四〇〇〇円)、無床診療所の開業医が月額平均金一五七万四〇〇〇円(年額金一八八八万円)とされていることが認められるものの、開業医の実質的な収入を算定するにあたつては、開業費用を控除する必要があるところ、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第九五号証の一ないし七によれば、日本医師会の医療経済基礎統計において、昭和四七年一一月から昭和五二年一〇月までに開設された診療所の開業費用は、無床診療所の場合が平均金三一七〇万円、一ないし一〇床の診療所の場合が平均金五五五〇万円とされており、診療科目別では、内科が平均金五二三五万円、外科が平均金八八三一万円とされているものの、これら開業費用は、開業する地域、開設する診療所の規模、開設のための不動産の取得の方法、開業する診療科目によつて著しい差があり、具体的な開業費用額を算定することは困難であることが認められ、右認定に反する証拠はないから、ひつきよう、誠司及び一予の収入について、前示の中医協の調査結果に依拠して算定することは相当でないし、そのほか右両名が原告ら主張の額の収入を得られることを認めるに足りる確たる証拠もないから、右の原告らの主張は、たやすく採用することができない。
3 原告らの損害
(一) 葬儀等関係費用 原告綿貫 金一〇〇万円
原告勇、同成子 各金五〇万円
弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件事故で誠司、一予及び葉子が死亡したため、その葬儀、四十九日及び、百か日の追善供養を合同で行なつたほか仏壇仏具の購入、墓碑の建立を行ない、これらに誠司及び一予に関する分として原告ら主張のとおりの金額を要し、各原告が原告ら主張のとおりの金額を支出したことが認められ、これに反する証拠はないところ、前示の誠司及び一予の年齢、職業等の事情を総合すると、本件事故と相当因果関係のある四十九日追善供養費、仏壇仏具購入費、墓碑建立費としては合計金一〇〇万円、葬儀費、百か日追善供養費、雑費としては合計金一〇〇万円をもつて相当と認める。
したがつて、誠司及び一予の死亡による葬儀等関係費用として被告らに請求しうべき原告綿貫の損害は金一〇〇万円、原告勇、同成子の損害は各金五〇万円となる。
(二) 慰藉料 原告綿貫 金一二〇〇万円
原告勇、同成子 各金六〇〇万円
本件事故は、煙草の箱を拾うために脇見をして追突するという被告望月の重大かつ一方的な過失によつて発生したものであり、その結果誠司及び一予の両名は炎上する車内で全身火傷により死亡したものであること、誠司及び一予がいずれも医師でそれぞれ満二八歳及び満二六歳という春秋に富む年齢で生命を奪われたことのほか、前掲甲第四六号証ないし第四八号証、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において原本の存在とその成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき弁論の全趣旨によつて原本の存在が認められ、かつ、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき甲第一四号証、原告らと被告渡邉及び被告会社との間において原本の存在とその成立に争いがなく、原告らと被告望月との間につき原告勇本人の尋問の結果によつて原本の存在とその成立が認められる甲第七八号証並びに原告勇本人の尋問の結果によれば、誠司及び一予の死亡によつて原告らが被つた精神的苦痛は極めて大きいものと認められることなど本件において認められる諸般の事情を総合すると、誠司の死亡による原告綿貫の慰籍料としては金一二〇〇万円、一予の死亡による原告勇、同成子の慰藉料としては各金六〇〇万円をもつてそれぞれ相当と認める。
(三) 原告綿貫が誠司の逸失利益を全部相続取得し、原告勇、同成子が一予の逸失利益を各二分の一の割合で相続取得したことは前示のとおりであるから、原告綿貫の損害額は合計金一億五四一万一四一四円となり、原告勇、同成子の損害額は合計各金五〇六四万一一三一円(一円未満切捨)となる。
(四) 損害のてん補
本件事故による損害のてん補として、原告綿貫が、自賠責保険から金二〇〇〇万円、任意保険から金五〇〇〇万円の各支払を受け、これを同原告の前記損害賠償請求権に充当し、原告勇、同成子が、自賠責保険から金二〇〇〇万円、任意保険から金五〇〇〇万円の各支払を受け、その各二分の一を同原告らの前記各損害賠償請求権に充当したことは、原告らと被告渡邉との間において争いがなく、その余の被告らの間では弁論の全趣旨により右のとおりの損害のてん補がなされた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
五 被告渡邉、同望月の抗弁について判断する。
誠司、一予及び原告らの損害として、前記理由四のとおり認定するのが相当であることは前示のとおりであるところ、合計金一億四〇〇〇万円の保険金の支払をもつて損害のてん補として十分でないことは計数上明らかであり、他に、原告らが前示の損害のてん補によつてもなおてん補されない部分の損害の賠償を被告らに対し請求することが公序良俗に反しあるいは権利の濫用にあたるものとみるべき事情を認めるに足りる証拠はないから、右抗弁の主張は採用することができない。
六 弁護士費用の請求について判断する。
弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため、本訴の提起と追行を弁護士である原告ら訴訟代理人らに委任し、各原告ら主張の額の報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の難易、前記認容額、本件訴訟の審理経過等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告綿貫分として金二〇〇万円、原告勇、同成子分として各金九〇万円をもつてそれぞれ相当と認める。
七 以上によれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、被告ら各自に対し、原告綿貫において金三七四一万一四一四円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五四年八月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告勇、同成子において各金一六五四万一一三一円及び右各金員に対する右同日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度でそれぞれ理由があるから、右限度でこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 塩崎勤 福岡右武 小林和明)
別表1 (誠司)
<省略>
別表2 (一予)
<省略>
別表3 葬儀費用一覧表
<省略>
別表4 四十九日 追善供養費一覧表
<省略>
別表5 百か日 追善供養費一覧表
<省略>
別表6 雑費一覧表
<省略>